最後の晩餐は大福餅と煎茶が良い

27歳になったら死のうと思って生きている

しんどい日

人生のつけが回ってきてる感がある

誰からも愛されてるようで愛されてない

しんどい。

心配してるような素振りを見せる人はみんな

愛する人と愛してくれる人がいる

特別な存在として生きている

 

私は誰にとっても特別じゃない

自分のために自分の機嫌とり続けること

もう疲れてきた

自分のために自分を磨き続けることも

もう疲れてきた

自己肯定感をあげたって空回りしてるだけ

それが誰の目にも美しいことのようには

写っていないし評価だってされない

私の自己肯定感なんてあってもなくても変わらない

こんなに自信を持っているのに

こんなに努力をし続けているのに

こんなに楽しそうに振る舞っているのに

全部無駄

なんのためにもならない

なんのために生きてるの?

このまま一人で孤独に歳を取っていくの?

そんなの耐えられない

だったら死にたい殺して欲しい

もう若くない私は存在し続ける意味もない

自分のために生き続けたって虚しい

誰かのために生きたいのに

必要としてくれる人がいない

むり

今日はアルコールを飲んだせいか、感情の波が酷い

明日は仕事があるから落ち着いて欲しい

仕事すらできなくなったら本当の用無し

 

欺瞞の日

仲のいい友人とすこし食事に。

 

友人は仕事中の事故の後遺症でしばしば体調を崩すことがある。

今月は寒いからか特に後遺症がひどく、

なかなか仕事にも行けなかったことに加え

恋人との関係もうまくいってないと気づき

少し前まで病んでいた、と話していた。

 

会ったときには元気そうにしていたので

持ち直して良かったと話したとき

そういう時、友達にたくさん電話をしたら

落ち着いたとのこと。

 

最低な返しになるが話せる相手がいるだけ良かったね、と思ってしまった。

勿論そんなこと言わなかったけれど

この子にはそういう相談ができる人がいてよかったな、と。

 

正直に、わたしにはそういう相手がいないと言ったら

なにかあったら連絡してね!と言ってくれた

それはありがたかったけれど

きっと連絡することはないだろうな、と辛くなった。

 

彼女とはよく遊びに行ったしプライベートな話も頻繁にするし

友人の中では仲のいいほうなのだが

 

じゃあ唐突に、死のうと思ってますと言われる覚悟があるのかなぁと思う

私には無い。そんなこと相談されても...と思う

誰がむかつくとか、失恋して悲しいとか

そういう話は全然聞けるけど、パーソナルな要因でおきる死にたいという気持ちは

受け止めることは難しいだろう。

ましたや私のように、表面繕ってヘラヘラ生きて"楽しそう"にしてる奴が

死のうと思います、と言い出したところで

戸惑いしか生まれないだろうし

心療内科やメンタルケアを勧められるのがオチだ(たしかに行くべき場所とは思うが)

誰かに吐き出したところで、得たい言葉が無い。

なにを言われても、ありがとうしか返せない。

ひどい性格だとは思うが。

 

軽率に言われる「死なないで」ほど残酷な言葉はないと思う。

その人の苦しみも理解しないでそういう言葉は言わない方がいい。

単に無責任にしか思えない、空っぽな言葉にしか思えない。

そうして死なないでと言ったところで、私が死んでもその人の人生は続くし、私に与えるはずだった愛情がほかに向かうだけなのだから。

 

はて、どんな言葉をかけられたいんだろう自分は...

 

本日、おわり。

雨天の日

最近人生のうまくいかなさがしんどい。

 

在宅勤務が増えたのでデスクを自作したら

足の固定がうまくいかず!パーツを買い替えする必要が出たり

育て始めた観葉植物の鉢をひっくり返して部屋を泥まみれにしたり

ECで購入した服、欲しいと思ったのと全然違うものだったり(ご配送ではなく自分の選択ミス)

転職活動も停滞気味。

 

ツキが回ってないというか

ジタバタした結果どんどんダメな結果になっている気がする。

頑張れば頑張るほど空回りしている感覚。

 

何もしたくないけど何かしないといけない、という焦りが漠然とあって苦しい。

手首を切りかけた。ギリギリで抑えられた。

しかしこのやり場のない苛つきをどうしたらいいのかわからない。

自分はデキる奴だと思ってた。でもこうやって空回りばかりで、ダメな奴だったんだ。

最近そう感じる場面ばかりで本当に死にたくなる。

 

友人と人生について語ることが増えた。

恋人がほしいとか結婚したいとかいう話になると

あなたはモテるからいいよね、とよく言われるけど

こんなぐちゃぐちゃな人間なのに、よく言えるものだ。

早く死んでしまいたい

あなたが思うような人生じゃなかったんだよと知らしめたい

自分の命の無価値さをみんなに知って欲しい

 

人が死んだってなにも変わらないことは知っている。

そのままその人はその人のいつも通りを過ごすだけ

死んだ人は登場しなくなるだけ。

 

無気力の日

久々の更新になる。

私は変わらず日々しにてぇと思いながら生きてます。

 

最近、まわりの友人の恋愛や結婚が

羨ましくてしょうがない。

好きな人や大切な人がいることが羨ましい。

恋人を作ろうと努力しているけど興味が続かない。

興味のない人間に時間を割く気力がない。

言い寄られると、気持ち悪いと思ってしまう。

下心で近づく奴をぶん殴りたい衝動に駆られる。

 

魅力的な人間になりたかった。

誰かにとって人生を左右するような存在でありたかった。

君が死んだら俺も死ぬ、そう言わせるくらい特別な存在になりたかった。

でもなれなかった。

そして私にもそんな存在はいない。

 

どうして特別になれなかったんだろう

なぜいつも2番目なんだろう

 

このまま生き続けたところで変わりようのない人生だとさえ思う。

誰からも愛されないし愛さない人生。

お友達作りもほどほどに、親友といえる人はいない人生。

あぁ空虚だなぁ。

つい昨日誰かと話した内容さえ殆ど覚えていない。

なんてつまらない人生なんだろう。

自分はすごいやつだって思っていたのに。

 

"簡単に死にたいというな、世の中には生きたくても生きられない人がいる"

ほんとに消えたいと思ってる人間にそう返すことほど残酷なことはないのに

平気でそういうこという人を見ると呆れる。

そういう問題じゃないんだよ。

そういう次元の問題じゃないんだよ。

 

どうやって死のうか。

年も明けて1月も半ば、タイムリミットが迫っている。

雪が見れると嬉しいのだけれど

 

本日、おわり。

 

散財の日

欲しかったデザインと全然ちがうよくわからないデザインのニットを勢いで買って4万円弱が消し飛んだ。

夜飲もうと誘った人にはみんなに断られた。

みんな予定があるらしいかった。

みんな誰かに必要とされているんだろう、

楽しんでください。

 

気持ちが悪くてご飯が食べられない、

本当にお金と寂しさのストレスでおかしくなったと思う。

自分の内腿を切りながら思う。死にたい。

こういう風にいつかサクッと死ぬんだろう、自分。

だけど自分の体を切るのはけっこう勇気が要った。あんまりやるものではない。

今日傷つけたところにタトゥーでも入れて、衝動的に切りたくなった時に抑止できるようなシンボルでもいれようかな。

はやくタトゥー入れないと自己肯定感がゼロになりそう。

 

本日、おわり。

またも無理の日

寂しさが一周回って鬱になってきました

だれかに会いたいけど、楽しくなれそうにないので週末の予定を断りたい。

貼りついた笑顔を作ることにエネルギーを使いたくないし

何もしたくないし何も見たくない

ずっと目を閉じていたい

悼みの日

しにて〜と言った翌日

祖父が亡くなりました。

 

ここ数年で認知症となり、介護生活を送り

この数ヶ月で肺炎になり、自力で食事ができなくなり

もう長くない、と言われて1ヶ月ほど経ち

おじいちゃん、辛いだろうに頑張ってるんだな

と思っていたところ。

朝LINEを見たら母から逝去の知らせ。

 

正直言うと、もう長くないと聞いてから

頭の中だけ徐々におじいちゃんを死なせていました。

きたる死の知らせに備えて、その時たくさんの思いに

ぐちゃぐちゃと頭をかき回されないように

おじいちゃんとの思い出を少しずつ振り返りながら

あぁ、でも死んでしまうんだなと悲しむ儀式を

この1ヶ月ほど地道に続けていました。

その甲斐があってか、LINEを見たとき

そこまで大きな動揺に襲われることもなく、取り乱すこともなく

今日の勤務はどうしようか、ということをぼーっと考えました。

 

結局在宅勤務で仕事はしたんですが。

悲しいとか寂しい気持ちはそこまで押し寄せなかった、

心が空になったような、無に近い状態。

逝った時どんな様子だったのだろうとか想像して

いつも泊まりに行った時にガーガーいびきをかいてたときのような

大口をあけて、そのまま息を引き取ったんだろうか

静かに眠るように逝ったのだろうか

色々考えましたがきっと、誰にも聞くことはないと思います。

 

だけど少し、手の空いた時におじいちゃんとのことを思い返すと

なんだかんだ、乾いた瞳に涙が浮かぶ。

悲しいし寂しい。

もしもタイムマシンに乗れたなら、私は小学生のころの

祖父母宅に家族で泊まりがけで行った時に戻りたいと思っていました。

おじいちゃんは認知症でボケていなくて、バイクで

スイミングスクールに毎日通っていて

まだ当時生きていた愛猫を可愛がっていて

夜親戚一同でお酒を飲むと酔っ払って軍歌を歌い出す。

おじいちゃんは第二次世界大戦の生き残りで、

あと少しで特攻というところで終戦したのです。

右翼ぽいところもあったけど、誇り高くてかっこいいと思っていた。

 

おじいちゃんが話してくれた近所の底無し沼の話

おじいちゃんが自力で作った庭のテラス

おじいちゃんが育てたかはわからないけど庭の藤棚で

毎年美しく咲いていた藤の花

認知症が進んでからは、会いに行くたびに美人さんだねぇと言って

私の名前をかろうじて忘れていたりして

 

小さい頃はおじいちゃんとなんの話すればいいかわからなくて

いつも話す時ドキドキしていた、

おじいちゃんの手は大きくてゴツゴツしていて

歳の割にはガタイもしっかりしていて若い頃はかっこよかった

笑い声がとにかく大きくて、笑った顔にほっとしていた

 

もう、もう会えないんだなぁ。

 

本日、おわり。