最後の晩餐は大福餅と煎茶が良い

27歳になったら死のうと思って生きている

蝉の日

今日も天気は晴れ、かんかん照り。

私はこの日を待っていました。今日は盆休みの出勤の代休の日。

世の中のサラリーマンが稼働している中

自分は平日に休みを謳歌できる日。

数日前から、この日はやるべきことを定めておりました。

 

それは、「極楽寺へ行くこと」。

極楽寺をご存知でしょうか?極楽寺は寺の名前ですが、江ノ島電鉄の駅名でもあります。

今回に関しては目的地は駅と捉えてください。

では、なぜこの駅を訪れるに至ったか?

実は自分が小学生のころ、

我が家族と親族は毎年の夏は祖父母宅&逗子マリーナで夏季休暇を満喫するイベントがありました。

とはいえ祖父母宅にいようが逗子マリーナにいようが

長期のステイは退屈でした(今は逗子マリーナはかなり改装されて、退屈のたの字も出ないような場所になりましたが。。)。

そのため滞在時、1日ほどはそれぞれのフリータイムが設けられていました。

ある年の滞在で私は父と2人で近辺の観光を楽しみ、

その中で八幡宮やら長谷寺やらを訪れる中で

極楽寺という土地に訪れたのでした。

では今日訪れたからには、この時なにか思い出深いなにかがあったのかといわれれば

実はそうでもないです。むしろ覚えてないことの方が多く

記憶に残るのは真っ赤な橋と、快晴の空、耳ざわりなセミの鳴き声。

そして奇跡的に遭遇したオニヤンマ。

断片的な記憶ですが、本当にこれだけ。

父と極楽寺のどこに行ったとか、どんな話をしただとか

詳細なことは全く覚えていません。

ミンミン、ジージーセミの鳴き声が飽和した夏空の下で、父と汗だくになりながらアスファルトの道を歩いていた。。。

それだけの記憶。

だけどなぜか、極楽寺という土地への執着があったのです。

何故かはわからない。特別誰かが眠っているわけでもない。

死ぬまでにもう一度あそこに行きたいなと思っていた場所。

今日はそんな場所に行きました。

 

道中の江ノ電では観光客がスラムダンク関連のウンチクを垂れ、鎌倉高校前や七里ヶ浜で降りる。

江ノ島駅で降りる客はなぜか派手な花柄のワンピースやオフショルのトップスを着がち。

こういう観光客の層もこの数年で変わったな〜と思いますが、もしかしたらそれは私が成長したからなのかもしれない。

 

そんな観光客を尻目に、極楽寺に降り立つ。

行ったことある方はわかるかもしれないのですが

極楽寺駅は本当に1シーズンを除いては、観光向けの場所ではないと自分は思っています。(貶す意図はないです、地元の方すいません)

死ぬほどローカル。寺院と家。それだけです。

ひとつ特別なのは、近隣にある成就院という寺院がアジサイで有名なこと。また、寺へ向かう参道が山の斜面なので、振り返るとビーチが一望できる。

それ故、かなり写真映えするのと景観が美しいので、アジサイの時期である梅雨はかなり混雑する印象がありました。

ただし今年はアジサイは咲かなかったようです。(他所に移植された?ぽいです)

また、今年はコロナもあったので、客足も遠のいていたと思います。

そんな成就院と、極楽寺に訪問しました。

 

あまり自社仏閣は詳しくないので割愛しますが

どちらも参拝させていただき、ご挨拶とお祈りを済ませてきました。

寺は空気がシンとしてて落ち着きます。

 

極楽寺駅でなにか、過去の記憶を掘り起こすような瞬間があったかと言われると

実はなくて。唯一、駅からすぐの赤い橋は記憶の中にあり、同じものがありました。(確か夏休みの課題の絵画で、この赤い橋をテーマに絵を描いた記憶があります。)

それだけは嬉しく感じたので父に久々にLINEをしてこの場所を覚えているか、と確認。

もちろん覚えてる、と返事がきて、なぜだかとても嬉しく思いました。子は思った以上に親との記憶に固執するのかもしれないと、なんとなく感じました。

もし私が死ねば、そういう記憶もどんどん父から消えていくんでしょうか。

それともより色濃く残るのでしょうか。

 

この日、極楽寺を訪れられて良かったです。

この夏はコロナもあるし、暑さも異常で外出できず夏を体感しそびれていたので

炎天下、セミの鳴き声に包まれて汗だくになりたいという欲がやっと満たされました。

いい夏の思い出になったと思います。

 

本日、おわり。

 

 

 

ヤル気ゼロの日

三日坊主にならないと言いながら

さっそく昨日の日記がかけなかった。。

意思が足りない。

 

昨日は友人と遊ぶ予定があったが、友人の体調不良によりポシャり。

1人で近所を散歩したり、カフェにいったものの

スケジュールが狂うのが苦手&人と会いたい気分だったので

別の友人を呼び、夕ご飯を食べ、泊まってもらいました。

ずっと冷やし中華を食べたかったので作れた&食べられたで満足度は高かったですが

1人じゃなくて誰かに食べてもらうのはより嬉しい。

なんだかんだで1人でいつづけるのは苦痛なようです。

 

今日は盆休み明け、久々の出社でしたが

まったくヤル気が出ずで眠気も酷く、パフォーマンス最悪。

そんな適当な仕事ぶりの自分に嫌気がさしました。

定時がすぐおとなしく家に帰り、進撃の巨人を見る。

ロッドレイス巨人、怖すぎた。

明日も仕事だが在宅なので気楽なものです。

明日はヤル気を出したいと思います。

 

本日、おわり。

祝いの日

今日も相変わらず東京は暑かった。

30度を超える外気はもはやサウナの中にいるよう。

この気候でマスクをつければ瞬時に汗だくになり、化粧もセットした髪も乱れる。

四季では夏が1番生きた心地がして好きだけど、今年は異常です。屋外に出たくない。

 

今日は映画を見て、買い物をして、友人の誕生日&仕事での成果祝いをしました。

映画は渋谷にて。コロナ感染のリスクヘッジで席はひと席飛ばしでの販売。

映画館で映画を見ている時の、すぐ真隣に他人がいる空間が苦手なのでありがたい。

映画はまあまあ面白かったです。リトルジョーという映画で

サイコスリラーですがホラー描写はないような作品。

花を起点にじわりじわりと、おかしなことが起きるみたいな話。

怖すぎない映画が見たい人にはオススメです。

 

また、今日は日傘と食器を買いました。

今年の夏は暑すぎるので日陰を求めて、ついに日傘を購入。

今年の夏が終わったら使うことはないのかと思うけどまぁそれもいいさ、

と思い少し奮発して軽量で使いやすいものを。

食器は見ていたら欲しくなったので。

なんだかんだで今日はお金をたくさん使いました。

 

夜は友人の誕生日と、仕事でとある成果を出したので祝いのご飯。

肉が食べたいということで焼肉へ。

店員が焼いて、都度食べどきで皿によそってくれるお店です。

各肉の部位やこだわりを話してくれて面白く、その店員の腕も良かったです。

聞いてみるとその店員はもともとその店によく通う客で、スカウト方式で入社し

現在配属されてまだ2ヶ月だとか。

そうとは思えない接客と焼きの技術で、褒めちぎりました。あの店員には出世してほしい。

 

友人とは仕事や業界の話をしました。

才のある友人で知識も幅広く、仕事のことでよく相談をさせてもらっている人。

もっと面白い仕事がしたいとか、金を儲けたいとか、業務のことで議論をしたりして楽しい時間でした。

でも、死を予定していることは話せませんでした。

そもそも友人に、死のうと思う、と話をする人はいるんでしょうか。

自分がもしいわれた側なら、どんなに重荷になるだろう。どう返せばいいだろう。

そう思うといつも、死にたいという気持ちが湧いても誰にも打ち明けることができないものです、

打ち明ける必要もないことだと思いますが。

ともかく今日は満足度の高い1日でした。

 

本日、おわり。

生きるの日

天気は晴れ、気温は30度超え(多分)

洗濯物はすっかり乾いたけど湿気で体が重い。

窓際で育てているピーチネックレスに水をやる。

日に日に葉っぱが丸々と太ってきて、

植物を育てることに自信がつき始めてきました。

 

ブログ1日目。

唐突ですが、今日私は死にたいと思いました。

一日中ボロボロと泣きはらしていました。

しかし「死にたい」とか、「綺麗な死に方」とかをググる

色々と身辺整理をしたり、それなりに

自殺の準備をしたりと、手間がかかるとわかり

唐突な感情でできるものでないとわかりました。

(やろうと思えばできるかもしれないけど

部屋を汚したり他人に迷惑かけたくないので)

 

手間を惜しむくらいで死にたいという気持ちが引っ込むなら

それは一時の自殺願望でしかないと、

構ってちゃん思考だと言われそうなものですが

こうした死にたいという気持ちがここ数ヶ月

発作的に沸き起こるようになりまして

 

今の自分は、特に逃げ出したい環境にあるとか

人間関係がもつれているだとか

そういう状態にはありません。

 

何かを成し遂げようとしたらできると思う。

自分は勉強もできるし、仕事の飲み込みも早い。

交友関係も広い。人見知りもせず、いわゆるコミュ力もある。

恋人はいない。けど異性との関係に困ることもない。

金に困っているわけでもない。贅沢ができる身分だと思う。

 

だけど、ただ漠然とこの世に生きていく縁(よすが)が

自分には無いんだなと気付きました。

死んじまってもいいな、そう思いました。

それだけのことです。

 

でも、この発作的にくる希死念慮

時間が経つと収まるとわかりました。

そして暫くするとまた再び沸き起こる。

このサイクルがどうして起こるのかがわからないけど、

再び沸き起こることがなければ平凡に生き続けられる気がする。

だけど期日のない試みは惰性になってしまう。

 

なので27歳になったら死んでしまおうと、逆に言えば

死までの猶予期間を設けてみようと思いました。

私が27歳になるのは3/8。あと7ヶ月弱あります。

 

それまでの毎日はもう二度と過ごすことのない季節になる。

今のこの8月のうだるような暑さも、

もう経験できないものになる。

それぐらいのプレッシャーがあれば、

毎日の過ごし方も少しは変わるでしょう。きっと。

 

このブログでは、そういう猶予期間で感じたことや

面白かったこと、楽しかったこと

日記としてしたためていこうと思います。

自殺はいけませんとか、親や友達が悲しむとか

そういうお説教はいりません。

ただ、自分が生きた記録をしようという試みです。

三日坊主ですが、毎日更新できるようにしたいと思います。(なるべく)

 

 

とりあえず今日は、貰い物の桃でコンポートを作りました。

桃はカットしてるうちにベタベタになるので苦手。

でも美味いので、今年もう一度ぐらい桃にハマる時期がきそうな予感。

 

あと、進撃の巨人を見始めました。

予想以上に作画が良いのとキャラが立ってるので

飽きずに見られそうです。

 

本日、おわり。